新潟のフリーカメラマンが内戦のシリアに入国すると宣言したところ、外務省に旅券を取り上げられました。報道の自由や渡航の自由は国民の権利であると主張されています。
最初は注目したニュースですが、インタビューを観ると、この方はどうも有名になってお金を稼ぎたいというだけのようです。これは置いておくとして、「自由」とは何かを考えます。
「自由」という言葉には、二種類の意味があります。
ひとつは、本来の哲学的な意味です。
老子など東洋で漢字で書く「自由」とは、「おのずから出てくる」ものであり、「みずから出てくる」ものです。つまり、全く作為のない思考や感覚を言います。
西洋哲学での「freedom」は、自主的、主体的に自分自身の本性に従うことをいいます。
つまり、「自由が尊重される」というのは、人がそれぞれ生まれながらに持っている、人間としての変わることのない思考や感覚に合致した行動は、妨害されることがないということです。
ここで気をつけて欲しいのは。「自由」とは人に普遍的なものなので、”それぞれの個人によって変わらない”ということです。この意味での自由は、強制や拘束や妨害を受けることなく、保証されていなければなりません。
もうひとつは「勝手気ままに」という意味です。
確かに、勝手気ままな自由が求められていった時代もありました。そして、この自由は、当然の帰結として社会を不安定にしていきました。IS(イスラム国)の人たちのテロ行為も、彼らなりの自由を求めての行動だと強弁できないわけではありません。
しかし、現代に生きる多くの人々は文化や伝統の違いを乗り越えて、統一した社会規範を求めはじめています。
生命や健康、安全や環境などの共通した価値感を持って、安定に向かいたいと考えています。この安定とか異質なものとの共存は、勝手気ままな「自由」とは両立しないと思います。